各紙の報道

朝日新聞

詳報・石原都知事「人格」発言

1999年9月23日 朝刊 33ページ

「行政の長」と「個人的感想」と

 東京都の石原慎太郎知事が、重度心身障害児者の病院を視察したあとの記者会見で、「ああいう人ってのは人格あるのかね」などと感想を述べた。この発言を朝日新聞が報じた後、障害者団体の抗議が都に寄せられている。石原知事は21日、「一人の人間として思い悩むことを問いかけた。ある新聞がこの発言を意識的に曲解した」と都議会で答弁した。視察の様子と記者会見、議会での発言を改めて詳報する。

都立府中療育センターを視察する石原知事
【写真】都立府中療育センターを視察する石原知事=17日、東京都府中市で

17日の施設視察

 石原慎太郎知事が東京都府中市の重度の心身障害者施設「都立府中療育センター」を訪れたのは十七日のことだ。重症医療病棟や通所部門を約一時間かけて視察した。朝日新聞など各社の記者が同行した。

 二百五十人余が入所している。「平均入所期間は二十・六年。施設ができた当初からの人も多い」との説明を受けると、知事は「症状は不可逆的なのか」「よくなる人はどのくらいいるの」などと質問した。

 重症病棟では、先天性の難病で寝たきりの患者の病室でたんの吸引作業などを見て、看護師らに「よくやっていらっしゃっていますね」と声をかけ、「水俣を思い出した」と話した。幼児期に浴そうに落ちて障害を負った少年のベッドのわきでは、「この子は知事が来ることを楽しみにしていました」と説明を受けた。知事は「学校にも行ってるんだってね。えらいね」などと励ました。入浴サービスなどをしている通所部門では朝食の様子を見学した。

 幹部職員に「いろいろなことを感じさせてもらった」と話し、記者団にも「行政者という以上に、人間として考えた。医者や看護師は気の毒な人にも人生があると確信して、そこに自分の人生を重ね合わせてる。尊いことだと思う。これだけの施設があることは素晴らしいことだ」と述べた。

視察で強い衝撃受けたのだとしても

 石原知事は二十一日の都議会で「発言を撤回し、陳謝すべきだ」との質問に対し、「私の発言の真意は、行政の長というよりも、一人の人間として思い悩むことを感じさせられ、そのことを自分自身にも、及び記者のみなさんにも問いかけたものであります」と答弁した。

 議会で述べた「真意」については理解できないでもない。

 言葉を交わせない、治療や介護を受けなければ生きていけない。そうした重い障害のある子供たちの医療、福祉施設を視察した石原知事の感想は、現場で強い衝撃を受けてのものだろう。

 ただ、この発言は、都の医療、福祉行政の最高責任者でもある知事が、報道されることを前提にして記者会見の場で語ったものだ。

 この子を育てることができるだろうか。このまま育てることが、子どもにも家族にも幸せなことなのか──。知事は、現場の懸命な努力の裏にある、根源的な問題に触れた。

 医療現場では患者の「人格」を巡って思い悩む余地はないと思う。回復の見込みのない障害がある人には、なおさらである。どんなに重い障害でも、日一日と体は成長していく。痛い、かゆいといった反応も出てくる。付き添えば、言葉がなくとも気持ちが通じるようになる。そうした子どもに家族も職員も励まされ、逆に力をもらう。そこには人間と人間のコミュニケーションがある。

 石原流の歯にきぬ着せぬ率直な発言を否定するものではなく、揚げ足を取るつもりもない。ただ、今回の「人格」発言や、東西の宗教観の問題としながらも「安楽死」に触れた発言は、あまりにも個人的な感動でありすぎなかったか。障害者とその家族への配慮が足りなかったのではないか。記者会見の内容を知った都職員にも、違和感を持った人たちが少なくなかった。(都庁担当・堀江 浩)

17日の会見要旨


  十七日の石原知事の記者会見で、府中療育センターの視察に関する発言は次の通り(一部略)。

 あの病院見てね、いろんなこと考えたね。絶対戻らない、ほっといちゃ骨折だらけで死んじゃう。それをあれだけかいがいしくお医者さんも看護婦さんもボランティアしてやってるわけだろ。ああいう人ってのは人格あるのかね。つまり意思持ってないんだからね。僕は自分で結論出してないんだ。逆にみなさんどう思うのかなあって思ってさ。

 もう絶対よくならない、自分がだれか分からない、生まれてきたか生きたかも分からない。ただ、人間として生まれてきたけども、ああいう障害で、しかもああいう状況になって、かけてるお金も大変なものだけど、しかし、こういうことやってるのは日本だけでしょうな。人から見たら素晴らしいことと言う人もいるし、おそらく西洋人なんかね、切り捨てちゃうんじゃないかと思うけどね。そこらへん、やっぱり宗教観とかの違いだろうけど。

 ただ、僕はやっぱり非常に分かんないのは自分の文学の問題にとってもねえ、こう触れてくるんでね。例えばああいう問題って安楽死なんかにつながるんじゃないかなって気がするんだけど。ああいう患者さんっていうか入居者ってのを、人格ってのをですね、認める人と認めない人があるんじゃないか。日本人は認めるんだろうなあ。西洋人てのは認めないんじゃないかなあ。どうなんだろう。本当に分からない。非常に大きな問題を抱えて私は帰ってきましたがね。もっとみなさんの意見聞かしてよ。

 (福祉施設を今後どうしていくか、問われて) 
 そりゃあもう明らかに他の医療の施設と違いますからね。しかも、ものすごい重症な、可逆性が全くない人たちをだね、人間の子どもであるからってことでああいう形で療養、療育するということは、これはやっぱり人によってはいろんな何て言うか経済性ってことだけに触れないと思うけど、しかしやっぱりそれを考えざるを得ない人もいるでしょう。

 しかし、やっぱり日本の首都、東京なんだし、東京がああいう施設をですな、こりゃやっぱり考えてみたら東京だけじゃなしに国の指定みたいなもので、国も協力してね、運営しないと。要するにその病院が個々に採算とって経営しろっていうことではとても当てはまる問題ではないですよ。

 ある意味じゃ日本人の宗教観てのか価値観、人間観てのかな、日本の宗教がはぐくんだ日本人の哲学みたいなものをだね、どう酌量して、私はあれを是とするけれども、すごいことと思うけど、ただやっぱり永久に採算合わないだろうし、特に院長さんに言ったんだ。「あなたがたこういう患者をこうやって、患者って言うのかな、あれ、入居者って言うんでしょうか、後遺症でああいう無残な姿になったわけだけど、こういう人たちを可逆性がないということを承知しながらみとってて徒労感というものを感じませんか」って言ったら、「あります」って言ってたね。「でもそれを乗り越えなければこの仕事できません」ってそういう言い方してましたよ。

 やっぱりあそこで働いてる人たちってのは、言葉は絶対通わない、ほとんど通わない患者をああやって慈しみ、とにかく一日でも長生きさせようってやってることで、やっぱり人間とは何かとか、自分が生きていることは何かってことのそこらの真偽を一番痛切に、ものすごく考えるというより感じ取ってるんだと思いましたけどね。まあ、これ言うと文学的になって諸君らには分からんだろうから。まあ、そりゃあ冗談だけど、行政に関係ないからね。

 (安楽死の問題とも関係すると言ったが、と問われて)
 いや、多分そういうことをね、つなげて考える人もいるだろうと問題提起っていうか、あなた方、それとも何か考えるヒントというか、やっぱり人間の存在という問題だからね。

 ちょっとあんた、私ああいう形で安楽死させろって言ってんじゃないよ。断っておくけど、変なこと書かないでくれよ。だけど西洋人なんかやっぱりね、すぐああいうこと考えるんだろうね。日本人はやっぱりそういうこと考えにくい。そこらへん東洋と西洋の違いがあって。一種の何て言うのかな、文明っていうか文化っていうか、一つの比較論のそういうもののきっかけをまた勉強したような気がしましたけどね。

都議会での答弁

 私の発言の真意は、行政の長というより一人の人間として自らの思い悩むことを感じさせられ、そのことを自分自身にも、及び記者の皆さんにも問いかけたものであります。

 ある新聞が、現場にも同行せずにこの発言を意識的に曲解し、あたかも私が、障害を持つ方々の人格を傷つけたと、多くの読者に印象付けたことは報道の正確性にもとり、許せぬ行為でもあります。これは、卑劣なセンセーショナリズムであり、アジテーションであり、社会的には非常に危険なことだと思います。

 重度の府中療育センターで、重度の障害を持つ入所者とふれあい、懸命に介護する医師や、看護婦と意見を交換して感じたことは、人間の生きることの意義と奥深さであり、また、これに携わる仕事の崇高さであります。

 私はこの視察で感じたことを知事としてしっかり胸に受けとめ、福祉の問題に取り組んでいきたいと思います。

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