3. 検証

── 田中康夫の主張についての検証 ──

田中康夫の6つの主張(T1〜T6)について、事実のみを根拠に徹底的に検証する。

それぞれの検証は、まず結論を述べ、つぎに根拠を示しながら論証するという形式ですすめる。

田中康夫『しなやかな革命』2001 ロングインタヴュー

T0 以前

「以前」とは、1999年9月17日である。

証言が証拠能力を有するためには「いつか」が最低限必要だが、 日付も情報源も不明な田中康夫の証言には信頼性がまったくない。


T1 石原慎太郎は、無脳児の子供とかが入院している病院に出かけた。

虚偽である。府中療育センターに無脳児はいなかった。

無脳症の75%は死産し、出生した25%のほぼすべても一週間以内に亡くなる。 一年以上生きると奇蹟だと言われる。つまり、府中療育センターに無脳児がいた確度は低く、仮にいたとしても嬰児または乳児である。
[参照 : Wikipedia - 無脳症 - Anencephaly

産経新聞によると、当時、府中療育センターには「二歳から七十四歳までの」入所者がいた。つまり、年齢的に考えても無脳児がいた確率はゼロである。(120歳の男性がいたというのと同レベルでゼロである)

鈴木ユウ『コウノドリ』第2話 http://www.moae.jp/comic/kounodori/2/1

「無脳児の」は、ミスリード
無脳児かどうかにかかわらず、生まれたばかりの赤ん坊に「人格」が備わっていないのは当然であり、赤ん坊を見て石原慎太郎が「人格あるのかね」「自分がだれか分からない、生まれてきたか生きたかも分からない」などと発言するはずがない。

「子供とかが」は、ミスリード
当時、府中療育センターの入所者のほとんどが成人であり、平均年齢は36.5歳である。 子供は入所者のごく一部であり、よって「子供とかが」という表現はミスリードである。

[※ 無脳症については別ページで詳しくまとめました]


T2 石原慎太郎は「こんな子に生きる権利はあるのか」と言った。

虚偽である。 石原慎太郎は「ああいう人ってのは人格あるのかね」と言った。

「人格」と「生きる権利」は、まったく別の概念であり、障害者の「生きる権利」に疑問を呈することは明白な差別である。障害者に生きる権利がないならば死しか残されていない。

1999年9月17日から2016年現在までの、五大紙+全国の地方新聞のなかで、そのような発言を掲載した記事は一つもない。

「こんな子に」という言葉に、基本的な事実に関する無知が表れている。

「こんな子に」というのは、目の前にいる子供を指す言葉である。すなわち田中康夫は、石原慎太郎が「病院」でこの発言をしたと誤解している。

しかし「人格」発言があったのは、視察から数時間後、20km以上離れた都庁での記者会見である。だから、石原慎太郎は「ああいう人ってのは」と言った。

この点について、預言者Mも「石原は、その病院で泣いていたのだ」と主張しているが明確な間違いである。

また、石原氏の発言は「子」についてのものではない。石原慎太郎は「ああいうってのは」と語った。


T3 朝日新聞は、石原慎太郎を、血も涙もないと書き立てた。

虚偽である。 石原慎太郎を血も涙もないと書き立てたメディアはない。

1999年9月17日から2016年現在までの、五大紙+全国の地方新聞のなかで、「血も涙もないと書き立てた」記事は一つもない。預言者Mが主張する「『非人間的』な鬼畜として記事にした」という事実も一切ない。

また、「朝日は「血も涙もない」とは書かなかったが、そう思わせるように印象操作した」という主張もあるが、朝日は石原氏の発言を取捨選択し批判的に取り上げつつも客観的事実を正確に伝えている。(石原慎太郎は「ある新聞が曲解した」とは言っているが「捏造した・歪曲した」とは言っていない)

発言の取捨選択を「印象操作」と呼ぶならば、これを報じた6紙すべてが印象操作をしたことになる。とくに産経・東京の2紙は、主観的な「心理描写」を多用しており、それは一般的な意味で印象操作と言える。

朝日の批判内容は、23日の「詳報・石原都知事『人格』発言」に、客観的事実と明確に区別し、論考として明示されている。「障害者とその家族への配慮が足りなかったのではないか。」それが批判の主旨である。


T4 石原慎太郎は、ウェンウェンと泣きながら「こんな子に生きる権利はあるのか」「ああいう人ってのは人格あるのかね」と語った。

虚偽である。 石原慎太郎はウェンウェンと泣かなかった。

この主張T4は、当該都市伝説の核心部分なので、より重点的に徹底して検証する。 そのため、まず言葉を明確に定義し、つぎに前提事実を確認し、最後に論証する。

言葉の定義 ──「ウェンウェンと泣く」とは

大声で泣くこと。号泣。おもに幼い子供が泣くさま。
事実として泣いたと田中康夫は主張しているので比喩表現ではない。

ええん、うえん、うえん、うえん、うおん、うおん、うおんといふ号泣が益々高く鳴り出してゐた。
──── 坂口安吾『竹薮の家』(1931)

「私は彼の胸の中で、子供のようにウェンウェン泣いちゃった。」
──── 家田荘子『極道の妻たち』(1986)

小さな弟はうえんうえんと泣きじゃくり、その横で幼稚園の年長ほどの兄が、風呂敷包みを片手に提げ、途方に暮れていた。
──── 万城目 学『鴨川ホルモー』(2006)

※ その他の用例は資料集に整理しました。


前提事実 ── いつ・どこで語ったか

1999年9月17日(金曜日)視察後(午後)
東京都庁の定例記者会見で


前提事実 ──「定例記者会見」とは

東京都知事の定例記者会見は、報道各社が加盟する都庁記者クラブ主催が主催し、原則として毎週金曜日の午後2時から開かれる。

東京都は、国家予算に匹敵する経済規模を有し、都市圏人口・政治的影響力においても世界最大の都市である。その最高権力者の定例記者会見には、当然、記者クラブ加盟メディアの大多数が参加する。記者が二人しかいないということはありえない。

1999年9月17日に行われた定例記者会見には、五大紙と東京新聞をあわせて少なくとも6紙が参加し、翌日の朝刊で視察・会見を報じている。

池上彰のニュースそうだったのか三時間スペシャル2016.08.20 NHK NEWS WATCH 9 - 2015.09.24
1999年(平成11年)当時の都知事の記者会見の様子。

※ 資料集「定例記者会見」に詳しく整理しました。


石原慎太郎の「涙」の報道価値

メディアは、これまでに何度も石原慎太郎の「涙」を報じてきた。五輪招致失敗のときの涙、消防庁隊員らに感謝を述べたときの涙、弟・祐次郎氏の葬儀での涙、など。石原慎太郎の「涙」には十分な報道価値がある。

※ 出典は資料集に整理しました。


論証

世界最大の都市の首長が、
考えうる限り最も公の場である定例記者会見で、
報道を目的として集まった多数の記者に向けて、
報道を前提として発言した。

その発言の最中に大声をあげて泣いていたのであれば、
十分な報道価値があり、
いずれかのメディアが必ず報じる。

しかし、この会見を翌日に報じた五大紙全社と東京新聞は、
「泣いた」ことには一切ふれていない。

2016年現在に至っても、それを報じたメディアは一社もない。

報道を前提とした公の場で、石原慎太郎が「泣いた」という事実を、 全社が一致団結して17年以上も隠蔽しつづけることは不可能である。

結論: 石原慎太郎はウェンウェンと泣かなかった。


T5 石原慎太郎は、保育器の中で生き長らえる子供を見た(かもしれない)

虚偽(に基づいた空想)である。 府中療育センターに「保育器で生き長らえる子供」はいなかった。

保育器とは「未熟児や呼吸障害などを伴う異常新生児を収容する容器(ブリタニカ国際大百科事典)」である。施設にいた入所者は2歳以上なので、保育器を利用していた「子供」は一人もいない。

保育器は身長49cm・体重2.5kg未満程度の新生児を収容するために設計されている。 平均的な2歳児の身長は新生児の1.8倍、体重は5倍である。
保育器は2歳児には小さすぎる。

※ 詳細は資料集「保育器」に整理しました。



T6 朝日新聞は、T4(泣いた)を恣意的に報道しなかった。

虚偽である。

仮にT4(泣いた)が事実だとしても、朝日以外の新聞5社も一切報じていないので、朝日が恣意的だったとは言えない。写真付きで1400字を費やし、細かな心理描写もした産経新聞が「泣いた」についてだけは一切ふれなかったことのほうが「恣意」だといえる。



以上、田中康夫の6つの主張すべてが虚偽であることを論証した。

田中康夫は基礎的な事実について完全に無知である。

かれは、それが「いつ・どこで」起きたのかも知らない。「以前・病院で」と彼は言うが、正しくは「1999年9月17日午後・東京都庁の定例記者会見で」である。

こういった基礎的事実についての無知から鑑みるに、田中康夫は「現場にも同行せずに」、朝日新聞の記事を読んでもいない。あやふやな伝聞をもとにした創作を語っていると推察できる。

同じく、預言者Mも朝日の記事を読まずに批判している。

── このような予言者たちの態度を言い表すのにふさわしい言葉がある。

粗野だよ。粗野極まりない。

── (田中康夫・作家=政治家 2001.05)
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都市伝説の検証
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